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ようやく連作短説が完結した。

以前から断片的に書き溜めていたものだったのだけど、22編の形にまとめるのは、思っていたより骨が折れた。

一応、Tarot Cardの大アルカナの持つ意味になぞらえてテーマとしているのだけど、テーマを追い、かつ、連作内のシリーズとなる「白雪姫異聞」は、一部で短説単体としての完結性が怪しくなってしまった。自分の力量のなさを痛感した次第。

また、Tarotの意味とは別に、作品の共通テーマとして「人とのつながり」と「短説落語(小噺)」の二つを軸にしていた。これの方の評価は、読者諸兄からのご意見を待つほかない。




さて、テキスト版とPDF版との二つの形式で公開したのだが、完成版はPDFの方である。テキスト版と比べると、誤字脱字の訂正のほか、助詞の使い方などの言い回しに一部変更がある。と言っても、22編を通して4か所ほどであるが。で、敢えてテキスト版は(誤字も含め)そのまま残しておくことにした。



テキスト版は、やはり本来の短説のスタイルと比べると違和感が大きすぎる。視覚的な問題だけでなく、視線移動の違いが大きい。これは以前から、従来の縦書き出版物と横書き作品との比較論があったが、それを改めて自己認識することとなった。横書きだと、文字が「飛んでいく」ような感覚がして、校正をしても、助詞の使い方とか、修飾語の位置とかの検証が「軽く」なっているような気が、私自身しているのだ。

たとえば今書いているような散文だと、まず、文脈の分かりやすさを最優先にして言葉を構築している。しかし、小説や韻文では、むしろ、意図的に隠して書くのだけれど、これは横書きだとちょっとやりづらい。たとえて言うなら、横書きは照明の明るい、家族連れやランチを食べに会社員がやってくるファミレス。縦書きは、ちょっと照明を落とした、常連客の集う飲み屋の感覚なのである。

喩えが下手で恐縮だが、そういったわけで、今後は、小説については縦書き形式で発表して行こうと思う。

PDFはデータが重いので、いつまでこのサーバーでお世話になっていられるかわからないが。


2010/11/21(日) 23:29 席亭雑感 記事URL COM(0)
今更ながらなのだが、日本航空、執行役員多過ぎだよ。今、何人いるの?20人位いるんじゃないかな。


そんなもの、はっきり言っていらねぇよ。普通の会社を見てみなよ。副社長や専務常務が10人20人もいるなんざ、ありえねぇ。どんな神経いていやぁがるんだか。
なおかつ、パイロットを辞めさすなど、ありえねぇ。執行役員なんぞ、糞の役にも立ちゃしねぇ。そんなの外注でいいじゃねぇか。


熱くなってしまってすみません。標準語に戻します。


パイロットを含め技術職を辞めさせた会社は、死にます。


もう一度言います。

技術屋を辞めさせたら、会社は無くなります。


日本航空は、自殺を図ろうとしています。


「月の収入が30万では、生活費が無いから、食費を削ります。でも、住むところは豪華にしたいから、月30万の家賃は削りたくありません」と言っているのと同じ。
取締役は辞職したらしいが、焼け石に水でしょう。「交際費を削りました」と言っているのと同じで、そんなものは、こうなる前にやっておくべきことで、今更やったって遅すぎる。執行役員も全員解任しなきゃ意味がない。
そのうえで、現場の人斬りをするなら、もう会社自体を国有化しない事には収まらないでしょう。
人件費を削減すれば良いなどと考えるのは素人に等しい。経営者の考えることではない。むしろ。それをやろうとした経営者を追放するべきである。
本当に会社を再生させる気があるなら、執行役員は全員無報酬にしなさい。
ちょっと古い話で恐縮だが、一か月ほど前に京都へ行ってきた。
とはいえ、社員旅行の悲しさ。見たいところをゆっくりと回れず、かなり欲求不満。



ただ、ちょっといい感じのカフェを見つけたことと、吉井勇の歌碑を直に見られたのはよかった。(カフェの記事は「鶏肋亭別館」
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/k6t_kaoru_morita をご覧頂きたし)


先日(11月8日)に「かにかくに祭」が行われた、ということで、それにちなんで、ちょっとそのとき思ったことを書いてみようと思う。

「祇をん 新門荘」で昼餉を取った後、花見小路沿いを南下し、白川沿いに少し入ったところに、その歌碑はあった。
吉井勇歌碑

有名な歌なので、注釈は割愛させて頂く。
桜のシーズンにはライトアップなどの趣向があるそうだが、小生が行ったときは、イベントも何もない時期だった。しかし、かえって雑音がなくて、かえってよかったのかもしれない。


何を感じたのかと言えば、「祇園」という土地の風情は、行ってみないと分からなかったということ。

昔、仕事でちょくちょく新宿区は神楽坂のあたりに通っていたことがある。あの辺ももともと花街で、裏に入るとその面影を残す佇まいに出会える。何年か前に倉本總のドラマの舞台になったところだ。
でも、あの界隈の雰囲気と祇園のそれとは、違うんだな。
祇園の方は昼間しか行っていないから比較にならないじゃないか、と言われるだろうけど、喩えて言うなら、皮膚感の違い、とでも言ったらいいか。

これは小生の感覚なので、反論があれば承るけど、神楽坂は、「年季の入った木の柱の感覚」。で、祇園は、「昔々に作られた、繊細な木工細工に触れる感覚」。
花街の雰囲気ははどこも同じじゃない、というのが感覚的に理解できた。
そういえば、東京で言うと、浅草と上野も雰囲気違うし、池袋のロマンス通り界隈と新宿の歌舞伎町一番街の辺りも、機能的特徴は似ていても別物だ。


他愛のない話題にて失礼。
2010/11/10(水) 23:00 席亭雑感 記事URL COM(0)
中国漁船当て逃げの証拠映像、何て呼称するのかわからないので、Yahoo!に倣って、以降「尖閣ビデオ」と呼ぶことにする。
その「尖閣ビデオ」が流出することは、政府は想定していなかったのではなかろうか。警察の内部資料が流出しているのだから、予防策を取らなかったとは思えないが、万全ではなかったんだろう。「万全な対策」がどんなものかもわかっていないんじゃないかな。

「社内の常識は世間の非常識」ではないが、日本の情報管理の甘さは今日に始まったことではない。意識が低すぎる。現金は箪笥にしまっておけば安全、位にしか考えていないんだろう。
プロの危機管理責任者はいるのかいな。

それから、外交もわかっていない。現政権下にはネゴシエーターもいないんだろうな。
尖閣諸島問題もそうだが、ロ大統領の北方領土訪問だって、日本政府は嘗められきっている。
今は事実上の有事なんだよ。
日本が自国の領海だって言っているところへ他国船が来て、政府機関の船に攻撃を仕掛けているんだよ。

外国と喧嘩しろとは言っていない。喧嘩はすべきじゃない。
でも、喧嘩しないのとへらへら笑ってやり過ごすのとは違う。
喧嘩せずに済むための交渉手腕が国家の命運を左右する。
恫喝するのではない。相手が了承して剣を鞘に収められるような交渉ができないなら、政府も外務省も存在意義がない。

自民党だって外交や交渉に長けている人材がいるようには見受けられない。現幹事長は日本道路公団総裁を解任させたとき大ポカをやっているくらいだから。小学生並みの交渉力しかないわな、あれは。

「社内の常識は世間の非常識」ですぜ、旦那。相手は日本人じゃないんだから、それなりの交渉をしなきゃ。
2010/11/07(日) 02:10 席亭のボヤキ 記事URL COM(0)
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