森田カオル 小説・短説
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器の記憶
ホーローのケトルを買いに行った際、いい感じの銅製のタンブラーがあった。
冷酒を飲むぐい呑みも探していたのだが、気に入ったものがなかったので、これに決めた。
容量は200ml。お誂え向きであった。
早速その晩、黒松剣菱を飲み、翌日はモルツを注いで飲んだ。
飲んでいて、思い出したことがあった。
平成に入って間もないころ、軽井沢で行われた大学のゼミ合宿に、OBとして参加した日である。
恩師や後輩とともに、まだ当時木造だった軽井沢駅に程近い喫茶店に入った。
そこで、水出しコーヒーを注文したのだが、その際に供された器が、確か銅のカップだった。
そんなこと、今まで20年余りも忘れていた。否、思い出すことがなかったのである。
店の屋号までは思い出せないのだが、Googleで検索したところ、「
丹念亭
」ではないかと思われた。
見覚えのあるテラス席や、銅のカップの写真が
食べログ
に掲載されていた。
ほんの他愛ないことなのだが、記憶というものの不思議な現象を体験した気がした。
2010/12/12(日)
20:30
席亭雑感
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COM(1)
「西向の山」西山氏のコメントに寄せて
先日、「西向の山」の西山氏より、当サイトへのトラックバックを頂戴した。
「短説の会」の会員の方々が高齢化してゆく中、若手の(と言っても、席亭と同様、40代後半なのだが)氏の焦燥はよく理解できる。
先駆者の方々の次の世代に当たるわけであるが、如何せん、そのあとの世代が先細りになっている現状がある。
席亭は、「短説の会」の会員ではない。
座会に伺ったのも一度きりで、しかも、芦原先生とは交流もない。
いわば外様、いや、落語に対する「色物」に近い存在であろう。
そもそも、席亭が最初に書いた短説が連作短説「ものくらうもの」であった。
はなから本流から外れていたわけである。
それでも、西山氏には、席亭のような存在を肯定して頂いた。
私自身、自分の存在意義は、アンチテーゼであると自覚している。
光と影。主流とは決してなりえない存在。
その自嘲も込めて、当サイトを「鶏肋亭」と名付け、自らをその支配人(席亭)と名乗り、自らすべての演目を行う。
このサイトに限らず、私が著したものは、残らないであろう。
その思いは、小式部内侍の存在を借りて、「面影桜」に著した。
アクセスカウンターは、席亭自身の分を除いても、幾人かの方々のご来訪を告げている。
「鶏肋」な作品の数々をお目にとめて頂き、大変ありがたく、身の引き締まる思いである。
2010/12/04(土)
00:27
席亭雑感
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