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先日、「西向の山」の西山氏より、当サイトへのトラックバックを頂戴した。



「短説の会」の会員の方々が高齢化してゆく中、若手の(と言っても、席亭と同様、40代後半なのだが)氏の焦燥はよく理解できる。



先駆者の方々の次の世代に当たるわけであるが、如何せん、そのあとの世代が先細りになっている現状がある。



席亭は、「短説の会」の会員ではない。

座会に伺ったのも一度きりで、しかも、芦原先生とは交流もない。

いわば外様、いや、落語に対する「色物」に近い存在であろう。

そもそも、席亭が最初に書いた短説が連作短説「ものくらうもの」であった。

はなから本流から外れていたわけである。



それでも、西山氏には、席亭のような存在を肯定して頂いた。

私自身、自分の存在意義は、アンチテーゼであると自覚している。

光と影。主流とは決してなりえない存在。

その自嘲も込めて、当サイトを「鶏肋亭」と名付け、自らをその支配人(席亭)と名乗り、自らすべての演目を行う。



このサイトに限らず、私が著したものは、残らないであろう。

その思いは、小式部内侍の存在を借りて、「面影桜」に著した。



アクセスカウンターは、席亭自身の分を除いても、幾人かの方々のご来訪を告げている。

「鶏肋」な作品の数々をお目にとめて頂き、大変ありがたく、身の引き締まる思いである。
2010/12/04(土) 00:27 席亭雑感 記事URL COM(0)
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