昨日、横須賀は観音崎へ足を運んだ。
実に21年ぶり。
学生時代に何度かバイクで言っていた土地へ
改めて行きたくなっただけである。
前の連休には江の島・鎌倉・山下公園と、丸一日かけて巡ってみた。
今回は、その続きであった。
観音崎バス停を降り、砂浜を横目にボードウォークを行くと、思いがけない発見があった。
西脇順三郎の詩碑であった。
建立は平成6年ということであるから、前回来たときにはなかったわけである。
まだ夏が終わらない……
私が訪れたのは冬の日であるが、しかし、詩に歌われる孤独は今の自分に相通じるところがあるように思われた。
灯台の見学(高所が苦手な自分が、よくもあそこまで登れたと、我ながら感心した)を終え、その足で横須賀美術館へと赴く。
昼食をとっていなかったので、管内併設のレストラン「アクアマーレ」にて食事を済ませ、館内へ入る。
(この内容については、鶏肋亭別館をご覧いただきたい)
地元に所縁の画家の作品を収蔵しているようだが、如何せん、私の心に迫る作品は少ない。
目を奪われた作品と言えば、高間惣七の「夏草」くらいであった。
むしろ、併設の谷内六郎展の方が、私の心の琴線に触れるようであった。そう、かつて「週刊新潮」の表紙を飾っていた、あの作品群である。
彼の作品は、絵であり、詩である。
連載時には表紙の言葉が掲載されていたが、それがなくても、誰にでも分かりやすい平易さの中に、心の根底にある普遍的な抒情を描き出している点においては、他の収蔵作品の及ぶところではない。
芸術は、感動してこそ、その芸術たる存在と成り得ると思う。
それは千人中に一人の割合でもよい。
しかし、感動する者が皆無であるなら、それは芸術と言えるのだろうか。
かと言って、次元の低すぎるのも考え物ではあるが。

西脇順三郎詩碑
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