小さい世界



               森田カオル



「あたしはこれでいいの」

 俺の頭を胸に抱きながら、女は答えた。張
りのある乳房には汗が滲んでいる。

 俺は女の腰を右腕で抱き、左手は彼女の髪
を撫でるともなく撫でていた。

 彼女と寝るのは二回目だった。チカという
綽名とメアドの他は何も知らない。彼女も俺
の本名は知らない。

 場末のホテルの部屋は独特の消毒剤の臭い
がしていたが、寝具は柔らかで暖かだった。
「一回きりのつもりだったんだけどね、なん
か、またヒロと会いたくなったんだ。次があ
るかどうかは、わかんないけど」

 俺も同じだった。サイトで知り合って一夜
限りの恋に落ちる。朝が来たらさようなら、
もう二度と会うこともない。でも、彼女は次
の週末に再び連絡してきた。俺の方は彼女の
連絡先のデータは消しておいたのだが。

「ヒロは、特定の女と付き合うのはいやだっ
て言ったよね。寝るだけの関係だとしても。
あたしもそう。『付き合う』のはいや。でも、
抱き合うのは、好きなんだ」

 衒いもなくそう言って、シャワーを浴びた
ばかりの俺の胸を唇で吸い始めた。

 彼女の過去は聞くつもりもない。聞かない
のが礼儀だ。でも、俺も彼女も、心の底の方
に落ちている〈もの〉を互いに見出していた。
気のせいと言われるかもしれないが。

 言葉ではなくても、指使い、唇の重ね方で、
自分と同じ〈臭い〉を嗅ぎ分けているのだろ
う。そして安心する。彼女の肉体と座標が重
なっている時に、俺は皮膚感とも気配ともつ
かない表現不可能な感覚を覚えた。

 彼女は俺の全身を唇で愛撫する。俺も応え
る。愛や恋とは異なる愛おしさが、ここには
ある。泡沫のようではあるが。

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