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日本中に「自粛」が影を落としている。


裕仁帝崩御の前後と、見た目は似ているが、状況が違う。

裕仁帝崩御の時は、本当の意味での自粛だったが、今、震災に端を発した「自粛」ムードは、ムードではない。

必要に迫られた、やむにやまれぬものである。だから、厳密には「自粛」ではなく「自重」であろう。

こんな時期に、興業を行ったらまずいのではないか、と慎重になっているのである。

また、電力事情に鑑みて、大量に電力を消費する興業が行政によって「制限」されてくることも考えられる。

考えてみれば、電気を食い過ぎる生活様式は、かなり前から指摘されている。家電メーカーは、省電力製品開発に力を注いできたが、いかんせん、その供給源がダウンしてしまうという状況までは想定できなかった。
いや、していたのに、蓋をしてきたのだ。



原子力発電所の建造には、利権がらみの巨額の金が動く。



日本は太陽光発電の技術では世界トップらしい。

しかし、それは利権に結び付かないから、国から金が出ないのである。



そんなことをやってきて、この有様だ。

原発推進をしてきたのは、誰だ?



何万年も放射能をまき散らし続ける物質を、たかだか100年しか持たない容器の中に押し込めて「安全だ」とペテンにかけてきたのは、どいつだ?



それを今になって、政策協議がどうのこうのと寝ぼけたことを言っているのは、何者なんだ?



寝言は、寝てから言えよ、と、言ってやりたい。



原発が危険だなんて、原発が作られる前からみんな知っている。



これだけ電気の過食症になっている我々に食事制限がやってきたわけである。自粛ではない、口に入らないのだ。

…一か月空いてしまった。


前回のログ(観音崎散歩)の後、神戸行を決意し、調査、手配などで忙殺されていた。
名付けて

「一人修学旅行in神戸」


以前から行こうと思っていた街ではあったが、
このところの「ちぃ散歩」的な行動力を発揮して、夜行バスを使って行ってきた次第である。

その詳細については、「鶏肋亭別館」にupしてあるので、そちらをご覧いただきたい。

到着した時は、雪だった。

地元の方の話では、神戸で積雪は珍しいとの事。

日ごろの行いが悪かったのか…。

しかし、午後からは天候回復。幸いにして、目的の一つであった夜景を堪能することができた。


実際に神戸に行ってみて分かったのは、

神戸と横浜は似ている、ということである。

街の歴史や環境が似ていることもあるだろう。

開国によって漁村だった村が外交、貿易の拠点として発展していったこと。

そして、共に小高い山を背景にしている、内海の港であるという地理的要因である。

人や物が集まってきて拡大した町である。


だが、似た境遇である東京の雰囲気とは、はっきり異なっている。

東京は街の複合体で、やってくるものを貪欲にに吸収している。

夢を抱いてくるものもあれば、光に背を向けて潜り込んでくるものも多い。

そして、互いの権益を固守するかのように、毛羽立った気で満ちている。

それが、東京という街複合体の側面である。


しかし、横浜・神戸には、その毛羽立った気が少ないのだ。

街が明るい開放的な情緒に満ちている。

同じ関西でも、京都や奈良とは明らかに異なる。

人が街の雰囲気を作り、街が、人を呼ぶというスペクトラムによって、それぞれの都市の個性は、ますます際立ってくるのであろう。


話は変わるが、ここ十数年で雰囲気が変わった街として、中野と秋葉原が挙げられる。

どちらも、一般にはサブカルチャーと呼ばれる風俗が根付き、それによって、既存の町に加えて新たな街の顔が重なっている。

どちらも、わたしにとっては四半世紀前からなじみの街である。

街が変貌したことに寂寥感はない。

寧ろ、今後が楽しみである。

神戸市街
2011/02/20(日) 16:16 席亭雑感 記事URL COM(0)

昨日、横須賀は観音崎へ足を運んだ。


実に21年ぶり。


学生時代に何度かバイクで言っていた土地へ
改めて行きたくなっただけである。


前の連休には江の島・鎌倉・山下公園と、丸一日かけて巡ってみた。


今回は、その続きであった。


観音崎バス停を降り、砂浜を横目にボードウォークを行くと、思いがけない発見があった。


西脇順三郎の詩碑であった。


建立は平成6年ということであるから、前回来たときにはなかったわけである。


まだ夏が終わらない……


私が訪れたのは冬の日であるが、しかし、詩に歌われる孤独は今の自分に相通じるところがあるように思われた。


灯台の見学(高所が苦手な自分が、よくもあそこまで登れたと、我ながら感心した)を終え、その足で横須賀美術館へと赴く。


昼食をとっていなかったので、管内併設のレストラン「アクアマーレ」にて食事を済ませ、館内へ入る。
(この内容については、鶏肋亭別館をご覧いただきたい)


地元に所縁の画家の作品を収蔵しているようだが、如何せん、私の心に迫る作品は少ない。


目を奪われた作品と言えば、高間惣七の「夏草」くらいであった。


むしろ、併設の谷内六郎展の方が、私の心の琴線に触れるようであった。そう、かつて「週刊新潮」の表紙を飾っていた、あの作品群である。


彼の作品は、絵であり、詩である。
連載時には表紙の言葉が掲載されていたが、それがなくても、誰にでも分かりやすい平易さの中に、心の根底にある普遍的な抒情を描き出している点においては、他の収蔵作品の及ぶところではない。


芸術は、感動してこそ、その芸術たる存在と成り得ると思う。


それは千人中に一人の割合でもよい。


しかし、感動する者が皆無であるなら、それは芸術と言えるのだろうか。


かと言って、次元の低すぎるのも考え物ではあるが。

nisiwaki西脇順三郎詩碑
2011/01/16(日) 17:59 席亭雑感 記事URL COM(0)
ホーローのケトルを買いに行った際、いい感じの銅製のタンブラーがあった。
冷酒を飲むぐい呑みも探していたのだが、気に入ったものがなかったので、これに決めた。
容量は200ml。お誂え向きであった。
銅製タンブラー
早速その晩、黒松剣菱を飲み、翌日はモルツを注いで飲んだ。


飲んでいて、思い出したことがあった。


平成に入って間もないころ、軽井沢で行われた大学のゼミ合宿に、OBとして参加した日である。
恩師や後輩とともに、まだ当時木造だった軽井沢駅に程近い喫茶店に入った。
そこで、水出しコーヒーを注文したのだが、その際に供された器が、確か銅のカップだった。
そんなこと、今まで20年余りも忘れていた。否、思い出すことがなかったのである。
店の屋号までは思い出せないのだが、Googleで検索したところ、「丹念亭」ではないかと思われた。
見覚えのあるテラス席や、銅のカップの写真が食べログに掲載されていた。


ほんの他愛ないことなのだが、記憶というものの不思議な現象を体験した気がした。
2010/12/12(日) 20:30 席亭雑感 記事URL COM(1)
先日、「西向の山」の西山氏より、当サイトへのトラックバックを頂戴した。



「短説の会」の会員の方々が高齢化してゆく中、若手の(と言っても、席亭と同様、40代後半なのだが)氏の焦燥はよく理解できる。



先駆者の方々の次の世代に当たるわけであるが、如何せん、そのあとの世代が先細りになっている現状がある。



席亭は、「短説の会」の会員ではない。

座会に伺ったのも一度きりで、しかも、芦原先生とは交流もない。

いわば外様、いや、落語に対する「色物」に近い存在であろう。

そもそも、席亭が最初に書いた短説が連作短説「ものくらうもの」であった。

はなから本流から外れていたわけである。



それでも、西山氏には、席亭のような存在を肯定して頂いた。

私自身、自分の存在意義は、アンチテーゼであると自覚している。

光と影。主流とは決してなりえない存在。

その自嘲も込めて、当サイトを「鶏肋亭」と名付け、自らをその支配人(席亭)と名乗り、自らすべての演目を行う。



このサイトに限らず、私が著したものは、残らないであろう。

その思いは、小式部内侍の存在を借りて、「面影桜」に著した。



アクセスカウンターは、席亭自身の分を除いても、幾人かの方々のご来訪を告げている。

「鶏肋」な作品の数々をお目にとめて頂き、大変ありがたく、身の引き締まる思いである。
2010/12/04(土) 00:27 席亭雑感 記事URL COM(0)
ようやく連作短説が完結した。

以前から断片的に書き溜めていたものだったのだけど、22編の形にまとめるのは、思っていたより骨が折れた。

一応、Tarot Cardの大アルカナの持つ意味になぞらえてテーマとしているのだけど、テーマを追い、かつ、連作内のシリーズとなる「白雪姫異聞」は、一部で短説単体としての完結性が怪しくなってしまった。自分の力量のなさを痛感した次第。

また、Tarotの意味とは別に、作品の共通テーマとして「人とのつながり」と「短説落語(小噺)」の二つを軸にしていた。これの方の評価は、読者諸兄からのご意見を待つほかない。




さて、テキスト版とPDF版との二つの形式で公開したのだが、完成版はPDFの方である。テキスト版と比べると、誤字脱字の訂正のほか、助詞の使い方などの言い回しに一部変更がある。と言っても、22編を通して4か所ほどであるが。で、敢えてテキスト版は(誤字も含め)そのまま残しておくことにした。



テキスト版は、やはり本来の短説のスタイルと比べると違和感が大きすぎる。視覚的な問題だけでなく、視線移動の違いが大きい。これは以前から、従来の縦書き出版物と横書き作品との比較論があったが、それを改めて自己認識することとなった。横書きだと、文字が「飛んでいく」ような感覚がして、校正をしても、助詞の使い方とか、修飾語の位置とかの検証が「軽く」なっているような気が、私自身しているのだ。

たとえば今書いているような散文だと、まず、文脈の分かりやすさを最優先にして言葉を構築している。しかし、小説や韻文では、むしろ、意図的に隠して書くのだけれど、これは横書きだとちょっとやりづらい。たとえて言うなら、横書きは照明の明るい、家族連れやランチを食べに会社員がやってくるファミレス。縦書きは、ちょっと照明を落とした、常連客の集う飲み屋の感覚なのである。

喩えが下手で恐縮だが、そういったわけで、今後は、小説については縦書き形式で発表して行こうと思う。

PDFはデータが重いので、いつまでこのサーバーでお世話になっていられるかわからないが。


2010/11/21(日) 23:29 席亭雑感 記事URL COM(0)
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